めだか第一研究所

ゆるふわ嗜好×ゆるふわ思考×ゆるふわ試行

エクソダス、するかい?/『宇宙よりも遠い場所』の感想

淀んだ水が溜まっている。
それが一気に流れて行くのが好きだった。
決壊し、解放され、走り出す。
淀みの中で蓄えた力が爆発して、全てが動き出す。

そんなモノローグではじまり、毎週ぼくの淀んだ瞳と涙腺を決壊させてきたアニメ『宇宙よりも遠い場所』が最終回を迎えた。とても素晴らしい作品でした。ありがとうございました。

宇宙よりも遠い場所 あらすじ
そこは、宇宙よりも遠い場所──。何かを始めたいと思いながら、中々一歩を踏み出すことのできないまま高校2年生になってしまった少女・玉木マリ(たまき・まり)ことキマリは、とあることをきっかけに南極を目指す少女・小淵沢報瀬(こぶちざわ・しらせ)と出会う。高校生が南極になんて行けるわけがないと言われても、絶対にあきらめようとしない報瀬の姿に心を動かされたキマリは、報瀬と共に南極を目指すことを誓うのだが……。
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本作は、ものすごく雑に言えば、世間からズレている四人の女子高生の「じぶんさがし」の物語だ。だけど、ある日常から非日常に飛び込み、試練を乗り越えて成長し、また日常へと帰る、という普通の成長譚とは全く異なる。

本作は、すこし丁寧に言えば、淀んだ四人の女子高生が「みんなと一緒に、わたしを探す」という物語だ。それは"あなたが、わたしを見つける"という物語であり、そして"わたしが、あなたを見つける"という物語でもある。

本エントリでは、そんな『宇宙よりも遠い場所』について、同じく寒冷地を舞台にした名作アニメ『OVERMANキングゲイナー』を補助線にして語ることにする。突然すぎて意味不明かもしれないが、騙されたと思って読み進めていただきたい。

OVERMANキングゲイナー あらすじ
機動戦士ガンダム」の富野監督が描く、新しい時代のSFロボットアニメ。近未来。巨大都市国家を脱出しようと試みる「エクソダス」という活動が起こり、各地で波紋を呼んでいた。ウルグスクに住むゲイナーは、ある日エクソダスの疑いをかけられて投獄され、牢の中でゲインと出会う。2人の旅が、ここから始まる!
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キングゲイナーを象徴する「エクソダス(Exodus)」という言葉は、元は旧約聖書にある出エジプト記モーセが海を割るハナシ)を指す言葉であり、現在では移民などの「集団的な民族移動」の意味で用いられている。こう書くと「逃げる」のようなネガティブなイメージを想起しがちだが、キングゲイナーの作中では「みずから動きだすことで、停滞した世界を突破する」という意味こそが本来のエクソダスであると語られる。

一方、キングゲイナーの物語それ自体は、引きこもっていた主人公ゲイナーくんが、エクソダスに巻き込まれるなかで新たな居場所を得て、それゆえ生じた断絶(みんなが求めるのは自分ではなく「キングゲイナー」でしかない)に苦しみ、そしてそれを新たな自分として受け入れていくという構成になっている。

新たな自分を見つけることが、クライマックスではないのだ。

新たな環境で新たな自己を生みだすことは簡単だけど、それは自己という停滞した世界を突破することにはならない。たとえ新たな環境に身を置いたとしても、それは淀んだ水の流れが変わるだけで、それだけで決壊し、解放され、走り出すことはない。水流は轟音を立てて渦巻いているけど、自己の壁を超えることはできない。むしろ、そうした外部世界との関係性の変化は、より強固に自己の内面を硬直化させてしまう。

めぐっちゃんは一人で旅立ったけど、彼女は一人なんかじゃないから、旅立つことができたのだ。蓄えたエネルギーを開放し、新たな自己を確立させてくれるのは、どうあがいても他人でしかない。人間の存在はつねに相対的で、自分を認識する誰かを認識することでしか存在しえない。だから、停滞を抜けだして、まったく新しい自己になるためには、必ず誰かが必要になる。淀みのなかで力を蓄えるのは自分だけど、それを決壊させるのは、壁の外側にいる誰かでしかない。

だから、脱出だけでは、自分だけではダメなのだ。南極に行くことはゴールじゃない。スタートでもない。そこに着いたらもう先はない。

だけど、脱出しなければ、自分ではじめなければダメなのだ。南極に行くことは、ゴールでもスタートでもないけど、報瀬ちゃんは辿り着く必要があった。

南極に辿り着くべき報瀬ちゃんは、一人では存在しえなかった。でも、南極に辿り着くべき報瀬ちゃんがいたから、四人それぞれが新たな自分を見つけることができた。なんだかタイムパラドックスな気分だけど、さらに逆説的なことを言えば、それはぼくたちがどこまでいっても一人だからだ。

吟「どんなに信じたくなくても貴子が死んだ事実は動かない。意志だとか生前の希望だとか言っても、それが本心なのか本当に願っているのかは誰にも分からない」
報瀬「じゃあなんで南極にもう一度来たんですか?」
吟「私が来たかったから。貴子がそうしてほしいと思っていると私が勝手に思い込んでいるから。結局、人なんて思い込みでしか行動できない。けど思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める。私はそう思っている」
報瀬「人に委ねるなってことですか?」
吟「そう。けどずっとそうしてきたんじゃないの? あなたは」
宇宙よりも遠い場所』12話

人間は、生まれてから死ぬまで、淀んだ蛸壺のなかにいる。相手が生きてようが死んでようが、他人のことなんてわからない。永久に思い込みにとらわれて、ズブズブとしたものを抱えて生きていく。

だけど、淀むということと、存在していることは、表裏一体なんだと思う。淀みが決壊し、解放され、走り出した瞬間、そこから新たな淀みがはじまる。彼女たち四人の関係も、きっといつかは決壊すべき淀みとなる。でもそれは、あの四人の関係が無くなるってことじゃなくて、また新たな「わたしたち」が生まれるってことだ。

「じぶんさがし」と「あなたさがし」は相互に依存していて、あなたがわたしを見つけて、わたしがあなたを見つけて、そうして二重螺旋を描いて(たまに停滞して)ぼくたちは生きていく。だから「あなたはそこにいますか」と問われたら、ぼくは「きみとここにいる」と答えたい。

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とはいえ現実は残酷で、ゲイナーくんにはゲインさんが現れて、キマリちゃんには報瀬ちゃんが現れたけど、そんなに都合よくエクソダス請負人は現れてくれない。でも、新たな自分を見つけてくれる人がいないのなら、自分が新しい誰かを見つけてあげればいいんじゃないのかな。

そんなことを考えながら、最終回まで走り抜けました。目頭オーバーヒート!