めだか第一研究所

ゆるふわ嗜好×ゆるふわ思考×ゆるふわ試行

自尊心 #転詞

この修羅インターネットの時代にあっては、もはや「自尊心」という言葉は口にするだけで敗北であり、そんなことを気にしていること自体が敗北であり、以降は数学的帰納法に基づき敗北ループが続くこととなる。そんな負債が折り重なる地上の地下帝国45組に起死回生のチャンスなんてなくて、未来は僕らの手の中どころか手のひらの感触すらも不確かで、もはやチンチロみたいな運否天賦すら存在しなくて、ずるりと這い寄る実存の世界が幾千幾万の三好くんを嬲り殺していく。助けてくれよ! カイジさん!

だけど、いくら叫んでも鼻トンガリ兄さんは来てくれないし、三好くんは逆境無頼で人生逆転できないんだから、せめて発想を逆転しましょうよ、というのが「自尊心」というヤツなのだろう。この「自分を尊ぶ心」というのは不思議な言葉で、そこには二つの自己の存在が仮定されていて、その関係性は何層にも折り重なり続ける。クソッタレな自分を尊ぶ自分を尊ぶ自分を尊ぶ自分を尊んでくれる自分とは、果たして何なのだろうか。

それは見るに耐えない自己循環で、答えを探せばひたすら沼に足をとられてしまうのだけど、ちょっとカジノを離れて上層階の部屋でポンプに水を注いでみよう。そうしてビルを傾けてみれば、グルグルと回り続けていた無残な自己憐憫が上昇するスパイラルを描く姿が見える…かもしれない。

これこそが「自尊心」の存在価値だ。その循環自体の正当性を問うことに意味はなくて、そこからグルっと視点を変えて、次の瞬間の末端の自分の変化だけを見据えればいい。もちろんそのエネルギーを他人様から頂戴できれば健全なんだろうけど、それが無いんだから仕方がない。幸いにも過去と未来は共に抽象空間なので、次の瞬間に至ってしまえば無関係。モチベーションは帝愛グループ役員が沼を攻略するくらい綺麗にロンダリングされることとなる。

だけど現代では、千差万別なクソッタレが離散的に生じることで、こうした自己の循環すら崩壊している。それはコミュニケーション・チャネルの多様化だけではなくて、多様な財サービスに囲まれることで、そもそもぼくたちの存在自体が瞬間的に多様化していることの証左なのかもしれないけれど。

さて、そうしたダンテもびっくり煉獄往復マラソンが正しいとすると、どうして地上の地下帝国45組なんて吹き溜まりが生じていて、世の中に定常的に三好くんが溢れているのか、という強烈な問いが生じてしまう。でもその答えは、自己が時間的に分断し、財サービスも溢れ出すことで、相対的に過去と未来の自分を規定する力が強くなったモノを考えればすぐに分かる。

ということで、やっぱり「お金」なんだよなぁ。助けてくれよ! カイジさん!