ゆるふわ髄想録

ゆるふわ嗜好×ゆるふわ思考×ゆるふわ試行

ポプテピピックのむずかしさ

Amazon Primeにズラーーーっと並んだ新作アニメを眺めると、わずか一年でここまでビジネスモデルが変化するのかと感慨深いものがある。ぼくは国粋主義者ではないので、海外資本がトリガーを引いたこと自体はどうでもいいのだけれど、中国13億人や英語圏17億人のスケールと比較すると、そりゃ日本をターゲットにした作品は衰退の一途だろうなと寂しい気持ちになる。とはいえ、映画はハリウッドでもボリウッドでも面白いし、その隙間(国内むけ作品)はIT武装したインディーズ・クリエイターが埋めてくれるだろうし、晴れて国内アニメーター労働問題も解決した様子なので、悲観的になる必要はないと思うけどね。

さて、そうした未来に立脚して振り返ると、この2018年にアニメ『ポプテピピック』が産み堕とされたのは、一つの象徴的な出来事なのかもしれない。例えばそれは、楽しむための文化的ハードルが極めて高いこと*1、メディアやジャンルと一体化していること*2、放送枠の概念に囚われながらも歪ませていること、などなど。

一言でいえば、本作は不均衡そのものなのだと思う。メタ的に自由度の高い作品だからこそ、まだ顕在化していない諸々の変化の片鱗が見える。だけど、それを論理的に掴もうとすれば、どうにもツマラナイ思考に収斂される。そして、そのバランスの難しさは、クリエイターも、視聴者も、全く同じなんじゃないかと思うのだ。

だから本エントリも、ゆるふわなまま終わります。じゃあの。

*1:ぼくはTwitterの流行にも声優にも疎いので、ホームステイ初日に見せられるシンプソンズくらいの疎外感がある。

*2:一般的な意味とは全く異なるが、なんとなく”ステルス・マーケティング”という言葉が当てはまる気がする。