宇宙逃避航海日誌

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垂直統合の逆転裁判、水平分業のダンガンロンパ、ありがとう王泥喜くん/『逆転裁判6』の感想

今更ながら『逆転裁判6』をクリアした。いやはやシリーズの集大成として非常に素晴らしい出来だった。もし貴方が『逆転裁判4』や『逆転裁判5』で心が離れてしまったのなら、ぜひ本作までプレイしていただきたい。成歩堂くん真宵ちゃんコンビの復活を目玉としながらも、各章ごとに『逆転裁判4』以降のキャラクターに見せ場と成長があり、まさに「逆転裁判シリーズ」の集大成と呼ぶに相応しい作品であった。

とはいえ「逆転裁判シリーズの集大成といえば?」という問いがあれば、ほとんどの人は『逆転裁判3』と答えるだろう。過去と現在、絡み合う人々、それらが織りなす奇怪な事件の数々、それらが一つに収束するクライマックス。疑う余地のない名作である。

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そんなわけで「逆転裁判6こそ集大成」などと書けば『異議あり!』と叫ばれそうだが、少しだけ『待った!』をかけさせてほしい。

不幸なことに、当時中学生だった僕は『逆転裁判3』からプレイしてしまったのだ。ゆえに残念ながら僕には『逆転裁判3』が集大成という感覚がない。あの日の中古ゲームショップで「スパロボは第3次からでも面白かったし」と妥協した自分を殴りに行きたい(関係性のわからないキャラクターばかりでも楽しくプレイできたので、まさしくスパロボだったのだけれど)。

そんなわけで僕にとって成歩堂シリーズの全ては「過去」なのだ。初めて発売日に購入したのは『逆転裁判4』であり、共に歩んできたのは王泥喜くんなのだ。まぁ肝心の出来がアレだったのでアプリ化するまで『逆転裁判5』も『逆転裁判6』も放置してたのだけど。

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それでも『逆転裁判4』の発売から数えて約10年の付き合いになる。その間に僕は一切成長しなかった(ただしナンバリングの意味は覚えた)のだけど、王泥喜くんは見違えるほど主人公になっていた。常に前シリーズと比較され叩かれながら、それでも大声で叫び続け、設定のガン積みを繰り返し、ついに成歩堂龍一とは正反対の新機軸「少年マンガの主人公」を打ち出せるようになっていたのだ。ここまで魅力的なキャラクターになるとは、正直、予想外だった。

だが、こうして10年間を振り返ると、王泥喜くんが戦っていたのは偉大な「過去」の成歩堂シリーズだけではなかったのだと気づかされる。

2007年の『逆転裁判4』の発売から3年後、キテレツ裁判ゲームという極東の地に黒船が襲来したのだ。その名も『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』である。発売当初は逆転裁判のパクリだと言われながらも*1ダンガンロンパは独自の世界観とプレイ感覚で着実にファンを拡大し、さらに二年後の2012年には続編の『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』が発売された。販売本数は微妙ではあったが、ダンガンロンパ旋風はキテレツ裁判ゲームの世代交代を否でも応にも予感させるものであり、それに呼応して『逆転裁判4』もとい王泥喜くんへの風当たりも強くなる一方であった。

その一年後、『逆転裁判4』から実に六年の歳月を経て、成歩堂龍一の弁護士復活を全面に押し出した『逆転裁判5』が発売された。だが結論から述べれば、成歩堂龍一の復活をもってしても、シリーズを取り巻くアレコレを逆転することはできなかった。具体的に言えば「二兎どころか十兎を追い、一兎も得られず、米も炊き忘れてる」みたいな作品だった。全く具体的ではないので言い換えると「過去作のリカバリや次作に繋がる手を打とうと試行錯誤したが、それゆえ焦点が曖昧になっており、そもそも謎解きが簡単すぎて面白くない」というゲームだった。あまりに微妙だったので、クリア後の特別編は未プレイのまま放置している。

僕は本作を以て逆転裁判は「終わった」と思った。一方でダンガンロンパのファンでもあるので、キテレツ裁判ゲームの「世代交代」が成ったのだと確信した。

だが惰性でプレイした『逆転裁判6』が予想以上に面白く、主張を逆転させることになった。僕は間違っていた。キテレツ裁判ゲームが「終わった」のであり、逆転裁判が「世代交代」したのだ。

キテレツ裁判ゲームが「終わった」というのは、要するにキテレツ裁判ゲームがジャンルとして成熟したということである。もはや「裁判ゲーム=キテレツ」なのであり、むしろケレン味のない裁判ゲームの方が珍しいだろう。しかし、それはダンガンロンパへの「世代交代」を意味してはいない。両者は構造的に全く別物だからだ。

補助線として四方山話を一つ。逆転裁判ダンガンロンパには「裁判」以外にも「アニメがアレ」という共通点がある。ダンガンロンパのデスゲーム要素は一旦おいておくとして、謎解きアニメの基本は、①事件が発生し、②調査を行い、③真相を暴く、という3ステップである。その物語構造は同じなのに、なぜコナンや金田一は面白く、逆転裁判ダンガンロンパはアレなのだろうか。

僕の答えは「③がバトルだから」だ。自分自身が謎を暴く過程にこそカタルシスがあり、物語自体の謎は気持ちよさの本質ではない。

だが、逆転裁判ダンガンロンパは、カタルシスを生み出す構造が全く異なる。謎を暴く過程のカタルシスを推理ゲームの範囲内で磨き続けるか、様々なカタルシスと組み合わせて複合させるか、という明確な戦略の違いがある。前者は垂直統合の摺合せ職人芸、後者は水平分業のプラットフォーム戦略、と雑なアナロジーをしてみると、意外にも両者の向き不向きが見えてくる。

垂直統合逆転裁判は、段階的な謎の設定が肝であり、その細かな積み上げがクオリティを左右する。だからこそ、その設計が緩すぎた『逆転裁判5』は微妙なのだ。

他方でダンガンロンパは、謎解きの過程を相対化し、ゲーム性の平面で水平分業している。すなわち、謎を暴く過程をカタルシス側から再定義し、スケボーやドライブゲームを逆輸入しているのだ。その気持ちよさは従来の推理ゲームには無いものであったが、ゲームとしては成熟している要素ばかりである。だが、それを一つの作品にまとめるには、奔放さと調和をギリギリの味付けでコントロールする必要がある。その巧みさが水平分業たるダンガンロンパの魅力である。と同時に、そうした常にアウトサイダーを循環させなければいけない構造こそ「ダンガンロンパらしさ」というブランドであるという矛盾が、最終的にV3という怪作を生み出してしまったのだけれど。実のところ、ダンガンロンパでの物語的なカタルシスは、初代で全て尽き果てたのではないかとさえ思う。

閑話休題。では逆転裁判の「世代交代」とは何かと言えば、王泥喜くんと共に歩む世代が終わったということだ。王泥喜くんの成長を最大限に喜ぶことができるのは、初代から通してプレイしてきた方々ではなく、僕のように成歩堂シリーズを「過去」として逆転裁判に関わってきたプレイヤーだと思う。それはまた、陰りをみせた逆転裁判と新興のダンガンロンパという関係性が、2007年から現在に至る日本経済とシンクロしているからでもある。偉大な「過去」の影に苦しめられ、現在進行系で黒船の襲来に脅かされ、それでも決別することなく垂直統合を引き継いで、二代目たる勇姿を見せた王泥喜くん。それは2010年代の日本経済を生きる僕たちには、淡い夢物語なのかもしれない。でも、だからこそ本作は、僕にとって「逆転裁判シリーズ」の集大成なのだ。

ありがとう王泥喜くん。現在深夜二時半、明日は仕事なのだが、まぁ、大丈夫です!