宇宙逃避航海日誌

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アニメで学ぶクソ論文の見分け方/アニメ『クズの本懐』の感想

アニメで「本懐」といえば銀英伝ファーレンハイトという通説は、すっかり『クズの本懐』に覆されてしまった。なるほど「クズ」である門閥貴族からは逃れられないという皮肉か。無念である。

報われない恋 切ない恋 片想い それってそんなに美しい物ですか 高校二年生の安楽岡花火は、叶わぬ恋に身を焦がしていた。 大事な人を傷つけ、傷つきながらも求めてしまう人のぬくもり。 これは、あまりにも純粋で歪んだ恋愛ストーリー。
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本作は「誰に何を語るべきか」が非常に難しい作品だと思った。手垢まみれの言葉で表せば、人によって評価が異なる作品ということになるのだろう。だけど悩ましいことに、僕という単一な個人は、17点の作品としても、80点の作品としても、38点の作品としても、90点の作品としても、本作を観ることができるし語ることができる。ちなみに細かいニュアンスを無視して書けば、ストーリーの終着点である最終回は17点、設定と導入は80点、全12話の物語の平均点は38点、作品トータルでは90点である。

繰り返すが本作は「誰に何を語るべきか」が非常に難しい作品だ。だが不幸なことに、インターネットという場所は極めて不特定多数に開かれた空間である。そのくせ自分の考えを全てを書くには余白が小さすぎる。

そこで本エントリでは、クソ論文の見分け方を書くことにした。何故か。本作のストーリー構成がクソ論文の様式美を見事に踏襲しているからである。

最終回が終わった直後、僕は本作を以下のように総括した。

いきなり深海まで急速にダイブして、その驚きと暗闇の鮮烈さはあったのだけど、そこから先ずっと景色が変わらないから、あれこれどうしたオイと思ってたら、寝てる間にやんわり干潟になってたみたいな作品だった。

これを論文に読み替えると以下の様になる。

ものすごく深遠な問題を序文で掲げてあって、それ本当に明らかにできんの?どうやって明らかにするの?とワクワクして読み進めたら、本題とは無関係な周辺の研究領域の話が延々と続いて、気づいたら仮説検証をすっ飛ばして結論で「以上の点については次回以降の課題である」とか書いてあって、え?お前の研究内容は?何にも明らかにしてなくね?みたいな気分になる論文だった。

紛れもないクソ論文だ。ただし本作は90点のクソ論文である。

 

クソ論文の特徴①深遠すぎて誰にも解けない問題設定

「誰に何を語るべきか」が非常に難しい作品という印象は、初期の初期から抱き続けていた。だが、全話を視聴した現在と初期とでは、その言葉の意味するところは全く異なる。
12話まで観終えた現在は、ざっくり言えば「面白かったか否か」と「その理由」の二つの組み合わせ問題として、話題の難しさがあると考えている。例えば、心理描写が深くて面白かった、いやいや薄っぺらくて面白くなかったなど、あくまで作品に対する評価である。
だが、1~4話あたりで僕が想定していた組み合わせ問題は「心を揺さぶられたか否か」と「何を思い出したか」の二つだった。あえて断言するが、本作の序盤で心を揺さぶられた人間の大多数は、その物語に打ちのめされたのではない。勝手に各々のトラウマ(青春時代〜今日)に殺されたのだ。だからこそ「誰に何を語るべきか」が難しいと思った。その大部分は作品の感想ではないからだ。

本作では、そうした人間が果たして「幸せ」になれるのかを問うていたように思う。つまり面倒くさい人間が「幸せ」になれるのかだ。

本作の登場人物は大体が面倒くさい。他人の汚さに敏感で、裏返しで自身の心に潔癖で、だから露悪的に振る舞う。それは大人びているようで、実のところ、人間の心に対してピュアすぎるのかもしれない。

だが、自身の心をメタ視点で眺めることを打算的だと責めてしまえば、あらゆる人生は地獄である。フィクション作品が心を打つのは、そのメタ地獄がないからだ。だからこそ、メタ地獄に囚われた二人の主人公が、どのような答えに至るのか。それが楽しみだった。そう……楽しみだったんだよ……

クソ論文の特徴②絞れない研究領域・総花的な先行研究レビュー

メタ地獄を反映してか、本作はとにかく心理描写が多い。計測したわけではないが、実際に口に出した言葉より、心の声の方が多いのではないだろうか。口を映さない省エネ(ただし冷蔵庫のコンセントは抜くがエロ動画を見るPCはガンガン稼働させる)作画のせいで、どこまで声に出しているのか戸惑うことも複数回あった。意図的な演出かもしれないが、アニメというより動くマンガに近い。

その方針自体は別に良いのだが、動画メディアでありながら心理描写が「並行」であるのは問題だろう。まず単純に「並行」して扱う人数が多すぎる。具体的には、主人公二人(麦・花火)と想い人二人(鳴海・茜)と別パートナー二人(早苗・最可)の六名もいる。この六人でコロコロ視点が変わるので話に乗りにくい。加えて、この六人の抱える色恋沙汰の問題は微妙にズレている。各々が自分の悩みを各々の形で解決しているだけで、各人の問題と解決が「並行」なのだ。

そんなわけで、中盤あたりから誰の何の物語なのか分からなくなった。各エピソード単体の面白さはあるが、主人公たちの物語は脇に置かれており、それらを一つの作品としてまとめる軸が見えなかった。オムニバス形式であれば違和感なく見れたのかもしれないなぁと思う。

クソ論文の特徴③そもそも仮説がない=検証もない=エビデンスなき唐突な結論

誰の何の物語なのか分からないまま、何の答えもなく物語は終わっていった。最終回は中途半端に格好つけて終わった。これまでの物語をブン投げた最終回だった。麦と花火は互いに新しい一歩を踏み出したようで、12話をかけて向き合うべきであった病気の根本は治っていない。

麦と花火は自身の心の潔癖に囚われたままなのだ。バッサリ切り捨てて新しい一歩を踏み出すのは物語だ。そこで世界が終わるから耐えられるのだ。だが、その一週間後に何を思うのか。そのとき胸に湧き上がる思いを打算と捉える限り、やはり人生は地獄なのではないだろうか。

しかし、麦と花火に救いがあるのは、彼らが「しっかり状況に流されている」という点なのかもしれない。十年かけて孤独に悩み抜いた末の答えが、オッサンが鼻くそほじりながら三秒で考えた答えより、高尚で正しい必然性は皆無である。そうした妙に現実的な部分が、物語としては面白くないのだけれど。

だが、そうした「そこ掘っても何も出ないよ」を描くのであれば、ビッチ先生が心を開くエピソードは不要だったように思う。誰もが自分の心の内側に潜っていく作品で、ビッチ先生だけは無慈悲に(≠無慈悲な)現実を体現していた。ビッチ先生だけは「そこ掘っても何も出ないよ」というメッセージを強烈に発していた。まさに女版・北方謙三。歩く青春ソープランド

そんな怪物のような女性をどう倒すのか。誰か倒せるのか。倒すとは何なのか。押し倒せば良いのか。僕が押し倒していいですか。むしろ押し倒してください。一戦お願いします。そんなことを考えながら楽しみに見ていたら、眼鏡の壊れた童貞が宇宙パワーで勝利してしまった。ピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロ。そりゃないぜ。

ビッチ先生は名も知らないモブキャラと結婚させるべきだったと思う。誰にも勝てない(=変えられない)ビッチ先生は、作品世界(=ほぼ独白という内面世界)の全く及ばない場所の誰かによって、いとも簡単に変わってしまうべきだった。その方が無力感が引き立つと思うのだ。

以上が本作がクソ論文たる所以である。じゃあ何で本作が90点なのかと言えば、面白かったからだ。論文としてはクソだが面白かったのだ。

第一に、ギャグセンスが好みだった。心の潔癖とは要するに「小学生の頃から思い続けた幼馴染と若気の情熱で初SEXになだれ込んだそのとき、何故か彼女の頭の端にいるバッタと目があったとして、以降の行為を純粋な恋と愛だけで行えるのか」みたいな問題だ。あるいは「両親の葬式へと向かう四時間の新幹線のなかで、ふと週刊少年ジャンプが読みたくなってしまう自分を許せるか」という問題だ。物語としてはバッタやジャンプを描く必要は皆無だし、もし僕が監督なら全員ビルの会議室から即ダイブさせる所存だ。だけど、心の潔癖を許さない本作では、時折バッタが現れた。それがどうしようもなく可笑しくて、僕は大好きなのだ。

第二に、最終回まで描ききった作者が凄い。開始時の心への潜りっぷりと、それを続けるストレスに思いを馳せるに、胸が締め付けられる思いがする。結果として誰の物語なのか分からなくなるというのも、果たして何に何の答えを出せば良いのか分からなくなったからではないだろうか。当然である。絶対に作者も面倒くさい側の人間だからだ。答えを持っていたらマンガなんか描かないだろう(暴言)。そこら辺の作者の心境を慮ると、とりあえずバッサリ投げ捨てて心機一転エンドも頷ける。お疲れ様でした。色々と書いたけど面白かったです。