宇宙逃避航海日誌

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空白の春/『鉄血のオルフェンズ』(50話:最終回)の感想と総括

鉄血のオルフェンズが終わった。よく出来た最終回だった。

…よく出来た最終回だったとは思うのだけど、コレは「オルフェンズの最終回」ではないな、というのが正直な感想だ。とても綺麗に物語の幕は下りたのだけど、これまでの49話を経ての50話ではなかった。オルフェンズの概要を知っている人が書いた最終回という印象だった。

この違和感の正体は、後半パートで「世界の結末」を描いてしまったことと、クーデリアが「革命の乙女」ポジションに返り咲いてしまったことの二点だと僕は考えている。以下、この二点について「世界の結末」と「革命の乙女」というテーマで僕の感じた違和感を考察する。今更だがネタバレ注意。

 

世界の結末

ご存じない方のために書いておくと、本エントリのタイトル「空白の春」は、∀ガンダムの最終回「黄金の秋」からとったものだ。「黄金の秋」は、前半に御大将ギム・ギンガナムとの熱量の高い最終決戦を描きつつ、十分に時間を残し、その後の世界と人々の生きる姿を静謐な『月の繭』にのせて語りきった伝説の最終回である。

オルフェンズの最終回は「黄金の秋」に似た構成だなと思った。

前半の死闘は「黄金の秋」を思わせる熱量で大変満足だった*1。大見得を切る二機のガンダム、怯えて竦む一般兵、圧倒的なパワーによる蹂躙。機体も搭乗者も半壊になりながら、血とオイルを垂れ流して戦い続ける二機の悪魔の姿には、もう理屈ぬきに魂が震えた。作画も熱が入っていて素晴らしかった。ありがとうございます。

他方で後半パートは「空白の春」だった。

以前このブログでも書いたが、本作で描かれる「世界」は極めて狭い。なぜなら、ギャラルホルンテイワズ鉄華団以外の人間や組織が作中でほとんど描かれていないからだ。

したがって、当然ながら鉄華団の見ている「世界」も極めて狭く、彼らの「世界」には守るべき家族、付き合いのある味方、倒すべき敵の三者しか存在せず、自分たちが今日と明日を生き抜くことだけを目的として行動する。彼らはクソッタレな世界を変革する気などサラサラないのだし、例えば、自分たちの活躍でヒューマンデブリの利用価値が悪い意味で向上したことに悩むこともない。

しかし、本作は刹那的バイオレンスを描いた作品であり、これ自体は何の問題もない。僕が気になったのは、そんな作品であるにも関わらず、最終回で「世界の結末」が描かれたことだ。

僕は鉄華団の殺伐物語を楽しんでいたのであって、彼らと同様に、世界の結末はどうでも良かった。どうでもいいというか、そもそも世界の描写が少なすぎるので、思いを馳せる余地がない。

しかし、後半パートでは、とにかく「世界の結末」が描かれた。それは物語を終わらせるためには必要なことなのだろうけど、本作は鉄華団の物語が主体であって、彼らの外側の世界がどうなるかは本筋ではない。

それに、本作が世界の結末を綺麗に締めることができたのは、皮肉なことだけど、これまで殆ど世界の物語を描いてこなかったからだ。何の濁りもなく、あまりに綺麗に、オルフェンズの世界は良き方向へと歩き出した。

でも、それは初期クーデリアの、ペラペラでお花畑な世界観そのものだと思うのだ。

殺伐で不条理な世界を生きてきた鉄華団が、世界を綺麗にまとめる礎になるというのは、最終回としては美しいのだけど、どうにも居心地が悪い。49話にわたる鉄華団の物語は、あくまで彼らが必死に生きるという物語であって、世界に対して徹底的に無意味だったのだし、最後まで無意味であるべきだったと僕は思うのだ。

 

革命の乙女

クーデリア・藍那・バーンスタインという人は、鉄華団と世界をつなぐキャラクターだった。本作の主要キャラのうち、主人公サイドでは彼女だけが世界の変革を望んでいた。だから「世界の結末」において、彼女が主要ポジションに着くのは当然だ。

…当然なのだが納得しかねる。

だって、2期のクーデリアは色んな意味で「無難なトコロに落ち着いた人」だったからだ。様々な出会いと別れを経験して強く逞しく成長した1期とは異なり、2期で彼女の戦いは殆ど描かれなかった。言い換えれば、作中で全く成長しなかった人だった。むしろ、世界に対する熱意が徐々に鉄華団(というか三日月サン)そのものにシフトしていく経緯をみれば、革命の乙女としては劣化したとすら言える。

初期のクーデリアは理想はあるけど現実が分かっていなくて、そこから成長が始まるのだけど、いつからか彼女は鉄華団(繰り返すが三日月サン)ありきで世界を捉えるようになってしまった。彼女が革命の乙女として最終回に立ち会うためには、どこかで「鉄華団を捨てて火星を救う」という決断を下さねばならなかったと僕は思う。世界の敵となって口座を凍結された鉄華団に対面したとき、オルガではなく彼女自身が資金援助を断るべきだったのだ。

そんな彼女が「世界の結末」に立ち会って、これまでの鉄華団を総括するというのは、最終回としては当然なのだけど、どうにも場違いな気がする。むしろ、火星のNPO代表程度のポジションのまま、アトラさんと寄り添って夜空に輝く三日月を眺めながら『世界は平和になりましたよ』と呟くくらいで良かったのではないか。そんな家族エンドがお似合いだろう。労せずして過ぎたるポジションに着くヤツはヘイトを集めるぞ。コードギアスの扇サンの悲劇を思い出せ。

空いた革命の乙女ポジションにはジュリエッタを据えれば良い。

ジュリエッタは物語を通して世界の複雑さに向き合いながら大きく成長した。相容れない二つの集団を一人の人間として歩み寄れる範囲で理解し、それを分かった上で自分の意思を貫き行動に移せた唯一の存在がジュリエッタだと僕は思っている。火星の悪魔バルバトスを仕留めたシーンは紛れもなく英雄であったし、革命の乙女として「世界の結末」に立ち会うべきは彼女だったと本気で思うのだ。

 

ぼくのかんがえたさいしゅうかい

まとめると、「世界の結末」がキチンと描かれているので、その意味ではよく出来た最終回であったが、そもそもオルフェンズに「世界の結末」は不要だったんじゃないの、というのが僕の意見だ。

エピローグなんか不要で、最後の最後まで戦い続ける「鉄華団の結末」を僕は観たかったのだと思う。彼らはただ戦場で生きて、なんの爪痕も残すことなく散っていけば良かったのだ。三日月サンは子供を残す必要はなかった。最初から最後まで成長しなくて、悪魔のような存在として死ねばよかった。ただ単純に刹那的バイオレンスを積み重ねて終わってほしかった。世界はもっと大きなウネリの中にあって、彼らの思惑や行動とは無関係に動いて(いることにして)ほしかった。

鉄華団は、結局のところ、星の数ほど存在するヒューマンデブリの群れの一つに過ぎなくて、一瞬だけ命を燃やして輝いて、跡形もなく消えてしまった。

でも、僕は彼らの物語を覚えているし、彼らの生き様に毎週のように心を動かされた。世界に何も残らなかったとしても、観るものの心に訴えるものがあった。

それで良いじゃんと思うのだった。

*1:ただ、イオク様をポンコツ全開で情けなく殺したのには不満が残る。まさに因果応報で、この末路に一部の視聴者は拍手喝采なのだろうけど、申し訳ないが僕はイオク様は生き延びるべきだったと考えている。詳しくは後述しているが、こうした「最終回としては違和感がないシーン」こそ違和感があるのだ。