宇宙逃避航海日誌

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「辿り着く場所=画面のこちら側」説/『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(48話)の感想と『アウトレイジ ビヨンド』のラストシーンの考察

今週も鉄血のオルフェンズが面白かった。
そして今週も最終回予想が外れた。

最終回は「三日月さんを生体パーツとして取り込んだ火星極冠遺跡の演算ユニット・バルバトス、そのボソンジャンプ(強行突破)で瞬時に地球に移動した鉄華団とマッキーは、電子の妖精バエルの力によってアーブラウ内のシステムをハッキングしID書き換え成功!ブイ!」、コレで間違いない。
「ガンダム・バエル=ホシノ・ルリ」説/『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(47話)の感想と最終回予想 - 宇宙逃避航海日誌

さて、それはそれとして、今週のオルフェンズには二つの驚きがあった。

第一に、バエルさんが活躍したのだ。
これにより僕の「ガンダム・バエル=ホシノ・ルリ」説は脆くも崩れ去ってしまった。
とはいえ、ロト装備でスライム軍団とぶちスライム(うんのよさ999)相手に無双したに過ぎないので果たして本当に強いのかは謎である。

第二に、イオク様が活躍したのだ。
「お前たちは動いてはならん」と言いつつ、反撃の口実を作るためバエルに突撃するイオク様の成長したお姿に涙を禁じ得ない。
ちなみに僕は今週のオルフェンズをアパートの共用リビングのテレビで観ていたのだが、イオク様が突撃するタイミングで別のテーブルにいた外国人集団から大爆笑が起きた(偶然)。流石は世界に轟くイオク様である。

あとオルガが死んだ。
Vシネマの作法を踏襲して見事に死んだ。個人的には血まみれで立ち上がるときに煙草を咥えなかったことが不満だが、良い子の観るアニメだから仕方がない。

辿り着く場所なんていらない。ただ進み続けるだけでいい。止まんねぇ限り道は続く
オルガ・イツカ/48話「約束」

鉄華団と三日月サンを「ここではないどこか」に連れて行くために頑張り続けた彼が最後に辿り着いたのは「辿り着く場所なんていらない」という答えだった。

そんな彼の死にざまを観ていると、ふと「辿り着く場所=画面のこちら側」という式が僕の頭に浮かんだ。そして、その式が頭に浮かんだ瞬間、僕のなかで何故か『アウトレイジ ビヨンド』のラストシーンが鮮明な画として駆け巡ったのだった。

以下、まず『アウトレイジ・ビヨンド』のラストシーンに関する僕の解釈をまとめて、その後「辿り着く場所=画面のこちら側」を説明する。まだ最終回は未放映のためネタバレになるかもしれない。その点だけご注意を。

 

アウトレイジ ビヨンド』のラストシーン

アウトレイジ ビヨンド』は、めくるめくバイオレンスと時折の笑いが視聴者の心を捉えて離さない、緊張と緩和が絶妙に配置されたエンターテイメントの傑作である。

5年前、ヤクザ界での生き残りを懸け壮絶な権力闘争に明け暮れた暴力団「山王会」は関東の頂点を極め、政界にまで勢力を広げていた。彼らの壊滅を目指す刑事の片岡(小日向文世)は、関西最大の「花菱会」と対立させるべく策略を練る。そんな中、遺恨のある木村(中野英雄)に刺されて獄中で死んだはずの大友(ビートたけし)が生きていたという事実が持ち上がる。その後、出所した大友だったが……。
解説・あらすじ - アウトレイジ ビヨンド - 作品 - Yahoo!映画

黒服のお兄さん方が殺し殺され血で血を洗う本作のラストは、主人公・大友(北野武)が悪徳刑事・片岡(小日向文世)を唐突に拳銃で撃ち殺すという、なんともあっけないシーンであった。

「全員悪人」である本作で誰が「最悪」であったのかに決着がつくこのシーン、それは自らの手を汚すことなく舞台の裏で糸を引いていた片岡こそが「最悪」という結末だったのだろう。

だけど、本当に最後のワンカット、見上げるようなカメラアングル(倒れた片岡の視点)で見下ろすようにトドメを撃つ大友の姿をみて、ふと僕は、最後に撃たれたのは自分なのだなと思った。自らの手を汚すことなくバイオレンスを楽しんでいる自分こそが「最悪」なのだなぁと思ったのだ。

もちろん、それで反省するとか己を顧みるとか人間の暴力性とかそんなツマラナイ話がしたいのではない。

バイオレンスは面白いのだ。悪いことだが面白いのだ。それでいいのだ。楽しんだ視聴者も含めて「全員悪人」だったのだ。

本作は徹底的にバイオレンス(と笑い)だけを描きながらも、単純なエンターテイメント作品を超えた仕掛けを最後に残した。
それゆえ僕は『アウトレイジ ビヨンド』という作品が素晴らしいと思うのだ。

 

辿り着く場所=画面のこちら側説

鉄血のオルフェンズは『アウトレイジ ビヨンド』と同類のバイオレンス作品であると僕は考えている。

今週のエピソードの中盤でマクギリスは鉄華団を「その輝きは、理想も目的も辿り着く場所もない、刹那的なもの」と評した。即座に半ギレした三日月サンに「俺たちは辿り着く」と潰されたことで初見時はいつものマッキーだと笑ってしまったのだが、よくよく観返すと(とても久しぶりに)マクギリスは鋭いことを言っている。

この「鉄華団は刹那的」という表現は言い得て妙である。

なぜなら本作そのものが刹那的バイオレンス作品だからだ。

オルフェンズはとにかく人が死ぬアニメである。というか、人が死ぬことで大義名分を得てドンパチするアニメである。

ただし本作が他の皆殺しアニメと異なるのは、(物語の展開上)死ぬべき人間が、死ぬべきときに、え?という原因で死ぬ点にある。死亡フラグはこれでもかと(ダミー含めて)張りまくるが、とても雑な原因で人を殺すのがオルフェンズなのだ。誰も彼もが、あまりにアホらしい原因で死んでいくのである。

しかし、本作はそれでいいのだ。

オルフェンズは毎週放送されるアニメであり、登場人物の死によって戦闘シーンへの布石(と話題)を提供し、次の視聴へとつながれば良いのだ。死の整合性の描写にリソースを割く必要はない。

いのちの糧(=視聴率と売上)は戦場(=バイオレンス)にあるのだから。

僕は刹那的バイオレンス(とイオク様の活躍)を楽しみたくてオルフェンズを観ている。
地球へ亡命するための戦いではなく、怒りと憎しみで暴れまわる三日月サンが観たい。堂々と複数の女を侍らかす三日月サンが観たい。

本作は刹那的バイオレンスの積み重ねで成り立っており、物語としての整合性は不要であるとさえ思う。

日曜夕方5時の主人公にあるまじき容赦のなさで敵(と女心)を殺しまくる三日月サンはバイオレンスを体現したような存在だ。倫理や常識に囚われないということは純粋に自分の欲望を発散できることでもある。それは刹那的バイオレンス作品の主人公に必須の素養であり、三日月サンに人間らしい葛藤は不要なのだ。

そんな刹那的バイオレンス作品だからこそ、オルガの遺言に従って「辿り着く場所なんていらない/ただ進み続けるだけでいい」鉄華団として、そのまま最終回まで突き抜けてほしい。中途半端に人の心の光を見せないでほしい。ただただ刹那的バイオレンスを描ききってほしい。

オルガは最後に「止まんねぇ限り道は続く」と言ったが最終回が来れば作品は終わる。
そこで鉄華団が全滅しているか否かは些細な問題である。
僕が楽しみにしているのは、刹那的バイオレンスを積み重ねた先に、果たして本作では視聴者に何が提示されるかということだけだ。

鉄華団はどこにも辿り着くことはないだろう。そもそも彼らは最初からどこにも進んではいなかったのだ。なぜなら、昔の自分に戻ったオルガが最後に残したメッセージは、マクギリスの評した現在の鉄華団の姿そのままなのだから。

各話の盛り上がりを重視する刹那的バイオレンスの終着点に、主人公の成長を見たいと僕は思わない。
全50話を通して変化するのは、鉄華団ではなく、それを見てきた視聴者自身であってほしい。
鉄華団はどこにも辿り着くことはない。では僕たちはどこに辿り着くのだろうか。最後に三日月サンは誰を殺すのだろうか。

来週もまたイオク様の活躍から目が離せない。