宇宙逃避航海日誌

Space Run A-Weblog

「バレエ・メカニック」は最終回であり最終回ではない/『交響詩篇エウレカセブン』における植民戦争の考察

エウレカセブンの新劇場版『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』の制作が決定した。「エウレカセブン」と「劇場版」の組み合わせを見て、脊髄反射的にクォーツ・ガンをブッ放してTV版以降をセブンスウェルしたい気持ちに駆られる皆様方もいらっしゃると思うが、まずは落ち着いて速報PVを見ていただきたい。

www.youtube.com

殺す気か。
レイ&チャールズ機らしきKLF、デビルフィッシュの色違い、若き日のアドロック・サーストンなど、TV版の視聴者の心をくすぐるカットが随所に散りばめられており、否が応にも期待せざるをえない(肉塊になるハップさんのシーンがあれば完璧だったのだが…)。

僕はエウレカセブンという作品が大好きだ。どれくらい好きかというと、本作が話題になるたびに48話「バレエ・メカニック」を観返してはオイオイ泣いて『良い最終回だった…』と呟かずにはいられない病気に羅患しており、いまも目を真っ赤にしてこの文章を書いているくらいには好きだ。良い最終回だった…

ご存じない方のために書いておくと『交響詩篇エウレカセブン』は全50話の名作ロボアニメである。

「広がる世界で出会った君は、きっと失くした、もう一人の俺なんだ。例え、ここで世界が消滅しても。おめでとう、自分。おめでとう、俺。」
少女=運命と出会った少年は、「世界」を知るため旅立つ。新世代のための叙事詩が今、始まる。
「交響詩篇エウレカセブン」 | バンダイチャンネル

さて、お分かりの通り48話「バレエ・メカニック」は最終回ではない。
では、なぜ僕が48話の「バレエ・メカニック」を観て最終回のような余韻に浸ることができるかというと、本話が「甘酸っぱいボーイミーツガール」であるエウレカセブンの最終回だからだ。

エウレカセブンという作品は「甘酸っぱいボーイミーツガール」と「苦い植民戦争」の二つのテーマを少年少女の成長譚として描ききった作品である。したがって、本作には「甘酸っぱいボーイミーツガール」としての最終回と「苦い植民戦争」としての最終回の二つがあるのだ。

以下、甘酸っぱいボーイミーツガールの最終回として48話「バレエ・メカニック」、苦い植民戦争問題の最終回として50話(最終話)「星に願いを」を紹介し、最後に二段階の最終回が意味するところをまとめる。なおネタバレ注意。

 

甘酸っぱいボーイミーツガール:48話「バレエ・メカニック」  

48話あらすじ
デューイの攻撃により、スカブの大地に大穴が出現する。そこから、スカブコーラルの中心に向けて、出撃するジ・エンド。レントンたちは、ジ・エンドを阻止するため、ニルヴァーシュで立ち向かう。空中で繰り広げられる激しい攻防戦。その中で、アネモネはその素顔を垣間見せるが……。
「交響詩篇エウレカセブン」 | バンダイチャンネル

本作はボーイミーツガールの名作として紹介されることが多いが、主人公であるレントンエウレカの甘酸っぱい関係は、物語の中盤である26話「モーニング・グローリー」で一応の決着がつく。一向に進展しない展開を50話も引っ張るワケではなく、二人が自分の気持に気づいて幸せなハグをした時点でまだ折返し地点なのだ。

もし本作が単なる甘酸っぱいボーイミーツガールのお話であれば26話が最終回で良い。再開したレントンエウレカが幸せなキスをしてニルヴァーシュがハッピー・セブンスウェル、ビームス夫妻とエウレカのワダカマリは解消し、エウレカを通して愛を知ったコーラリアンは良いカンジの光に包まれ、なんやかんやでクダンの限界は起きずに物語の幕が閉じるのだ。

しかし本作はそうではない。

朝7時に早起きした良い子の皆に絶大なトラウマを刻み込むことになる、27話「 ヘルタースケルター」および28話「メメントモリ」が続くのである。甘酸っぱい少年少女の再会の次の話が白兵戦とは誰が予想できただろうか。しかも本作はロボアニメである。主人公が子供たちと地下独房に避難させられる作品の何がボーイミーツガールなのだ…

26話で無事に結ばれたレントンエウレカは、27話以降は恋人というより夫婦として二人を取り巻く世界と向き合うことになる。描かれるエピソードも、エウレカの拭い難い過去との対峙、連れ子との確執、異なる人種(というか種族)ゆえの外見の違いなど、少年少女の恋愛を超えた、夫婦や家族としての問題へと移り変わっていく。

その一方で、ドミニクとアネモネの甘酸っぱい関係は、48話「バレエ・メカニック」に至り、ようやく決着がつくのである。

48話という物語の佳境にも関わらず「バレエ・メカニック」では徹底してアネモネとドミニクの二人の物語が描かれる。画面上では世界の命運を分かつ作戦が実行されてはいるものの、それは文字通りアネモネのモノローグ(泣ける)の背景にすぎない。

48話「バレエ・メカニック」の展開は、離れ離れになることでお互いの気持に気づいた二人が再会して抱き合うという、ボーイミーツガールの王道を描いた26話「モーニング・グローリー」と全く同じである。そこには27話以降にレントンエウレカが乗り越えてきたような複雑な問題は存在せず、超ド級の甘酸っぱい会話が繰り広げられるのだ。良かったねアネモネ。俺は泣いている。

先に述べたように、もし本作が単なる甘酸っぱいボーイミーツガールのお話であれば、ここはレントンエウレカの二人で問題ないはずだ。しかし本作では、ここにドミニクとアネモネの決着が配置されている。

では二人は何をやっているのかといえば、「だって苦しいの!あの人がどこにもいないの!」と叫ぶアネモネに対し「きっと伝わるよ」と仲良く手を繋いで声をかけたり、ドミニクとアネモネの再会を優しい笑顔で見守ったりしているのだ。なんだこの人生の先輩感は。これが妻子持ちの余裕か。俺より大人じゃねーか。俺は泣いている。

この余裕こそが27話以降の成長の証なのだ。そこに甘酸っぱいボーイミーツガールはない。彼らはとっくに次のステージに進んでいるのだった。

 

苦い植民戦争:50話「星に願いを」

本作は典型的なボーイミーツガールを描いていながら、恋愛パワーで世界を救う奇跡は描かれない。

では、様々な俗世の諍いを乗り越えてきたレントンエウレカが世界をどのようにして救ったかというと、別に救えはしなかったというのが本作の魅力である。

本作には宇宙に存在する知的生命体の数が閾値を超えると次元レベルで世界が崩壊する(クダンの限界)ため、人間と知的生命体コーラリアンの共生は物理的に不可能という、いわば植民戦争(原住民と移住者の戦い)の極北のような設定がある。
そんな本作の本筋は、謎の知的生命体コーラリアンを殲滅しようとする塔州連邦軍(というかデューイ)と、対話を試みるゲッコーステイトの対立だ。

普通の作品であれば、レントンエウレカによって対話が成功して世界が救われてハッピーエンド、もしくは敵を殲滅してバッドエンドである。

だが、本作の結末は「とりあえず人間もコーラリアンも半分づつ別の宇宙で暮らしてみましょう」という何ともビジネスライクなものであった。
植民戦争と異種族との共存をテーマにしながら、最後まで互いの種族が理解し合えないまま終わるのである。約24時間かけて「愛は地球を救わない」と言ったに等しい。

結局のところ「分かり合うって難しいし、分かり合えても共生できるかは別問題」という極めて現実的な答えに辿り着いたのがエウレカセブンという作品なのだ。敵国の国民の一人と仲良くなったからといって戦争が止まるワケでもないし、互いに分かり合えたとしてもパンが絶対的に足りなければ共生は難しい。

繰り返すが本作は朝7時に放映されていた作品である。

 

少年少女の成長譚としてのエウレカセブン

では全50話は無駄だったのかといえば、そうではないと僕は思う。

安易に恋愛パワーで世界を救う奇跡は、それまで積み上げてきた人間ドラマを無に帰すに等しい。あらゆる人間ドラマは細かい諍いの積み重ねを経て一歩づつ相互に理解していく過程であり、それが一つだけ達成されたからといって、世界全体とも分かり合えるとは何とも虚しいではないか。そんなに簡単に分かり合えるのなら、いままでの苦労は何だったのかと言いたくなる。

本作では、コーラリアンと一体化する(意識を半ば同調させることで知的生命体の総数を抑える)という共生の道も提示されていた。しかし、そのような形で相互理解と共生ができたとして、果たしてそれが共生と呼べるかは疑問だ。
最終話でレントンは代理司令クラスターとなるエウレカと一体化することを決意するのだが、ニルヴァーシュの粋な計らいによって、二人は引き続き異なる個体として生きてゆくことになる。もし二人が一体化するラストであれば、それこそ今までの50話は無駄であったと言わざるをえない。

最終話のラストシーン、決して混じり合うことなく、それでいて寄り添って光る赤と青の二つの光。その光は宇宙から見えるほど強くはないけれど、50話という時間をかけて築き上げられたものが、確かにそこに存在するのだ。そんなラストシーンは、植民戦争を描いた作品として、とても真摯なものだと思う。

本作はボーイミーツガール作品として始まりながら、単なる少年と少女の淡い恋心という閉じた世界だけでなく、彼らがその外側にある複雑怪奇な世界や人間と向き合うまでを描ききった作品だ。

正直なところ、苦い植民戦争の最終回である50話「星に願いを」のカタルシスは薄く、甘酸っぱいボーイミーツガールの最終回である48話「バレエ・メカニック」の方が観返すと面白いし泣ける。

しかし、だからこそ本作の終盤は「甘酸っぱいボーイミーツガール」としての最終回と「苦い植民戦争」としての最終回の二段構成になっているのだろう。それは終盤への盛り上がりを作るという側面もあるのだろうが、ドラマチックな「甘酸っぱいボーイミーツガール」としての最終回をドミニクとアネモネに任せることで、極めて現実的な「苦い植民戦争問題」としての最終回をレントンエウレカが担うことができたのだ。

ここまで書いておきながら、おそらく自分は次回もドラマチックな「バレエ・メカニック」を観てしまうのだろう。だけど、たまには全編を観返しても良いのではないかと、そう思った。

旧劇場版と続編は絶対に観返さないけどな!!!