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宇宙逃避航海日誌

Space Run A-Weblog

「マクギリス+イオク様=シャア・アズナブル」説/『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(46話)の感想と最終回予想

今週も鉄血のオルフェンズが面白かった。面白かったというより驚いた。マクギリスがアルミリアを「女」呼びしたのである。「お母さん」ではなく「女」である。

僕は一週間前にこんな文章を書いていた。

主人公のイオク様は毎週クジャン家の汚名挽回といった活躍をみせてくれるし、黒幕のマクギリスも回を重ねるごとに情けなくなりロリコン金髪仮面の正当な後継者に恥じぬ姿を(全裸ではなく半裸こそが赤い彗星を継ぐものだと)遺憾なく示してくれている。
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書いておいて何だが、どうもマクギリスがロリコン金髪仮面の後継者というのは違うような気がしてきた。

そうではなく「マクギリス+イオク様=シャア・アズナブル」という式が正しいのではないか。その式が頭に浮かんだ瞬間、「ガンダムとしては新しい終わり方」であり「辛いけど希望は残る」という鉄血のオルフェンズの最終回が、僕のなかで鮮明な画として駆け巡ったのである。

以下、まずは「シャアとマクギリスを分かつもの」と「シャアとイオク様をつなぐもの」いうテーマで二人のキャラを振り返る。そして、その上で僕の辿り着いた答えを書こうと思う。まだ未放映のため真実は(関係者以外)誰にも分からないが、ネタバレになってしまうかもしれない。その点だけご注意を。

 

シャアとマクギリスを分かつもの

宇宙世紀シリーズを観た人であれば、誰しも自分なりのシャア・アズナブル論をもっていると思う。自分にとってのシャアを語るということは、他人にとってのシャアを殺すということであり、それは文化戦争である。語らなければどうということはない。しかし、それでも語りたくなる。そして戦争になる。

シャア・アズナブルとは、それほど魅力的なキャラクターなのだ。

そんなシャアの(僕にとっての)魅力は、彼が「なり損ない」であることだ。マルチに非凡な才能をもちながら、何者にも成りきることができず、常に色々なものの狭間で揺れている。人類の革新を唄うカリスマでありながら、最後は自身の私怨に支配される。そんな揺れ動く人間くささが彼の魅力である。

初代ガンダムでは、ザビ家への復讐のみに生きる人間でありながら、ララァとの出会いによって人類の革新を予期するに至る。だが、目の前でアムロニュータイプ寝取り(ついでに命取り)をされたせいで、およそ新人類には相応しくない劣等感や憎悪を深く抱くようになってしまう。

続編のZガンダムでは、仮面をグラサンに取り替えて真っ赤なノースリーブに身を包み、心機一転して裏方に徹するも、世の流れから否応なく表舞台に立たされてしまう。しかし、結局は世界を良き方向に導くことはできず、人間の愚かさを嫌というほど味わった挙句、最終回では次世代の希望であるカミーユくんがプッツンして本作は幕を下ろす。

そして最終章である逆襲のシャアでは、悩み苦しんだ末の答えとして、どこまで本心か分からない(おそらく自分でも分かっていなかったのだと僕は思う)アクシズ落としという凶行に走る。

現実に生きれば理想と出会い、理想に生きれば現実に絶望する。人類のため大事を成そうとするも、結局は私怨を捨てきることができない。そんな道を選びきれない生き様が、観ているものの心を討つのだろう。

対してマクギリスは迷わない。自身の理想と現実の間に壁があったとしても、どの道を辿るべきか合理的に「考える」ことはあっても、どちらが望ましいのかと「悩む」ことはない。それは、他人や世界に(一方的に)期待しては裏切られてきたシャアと異なり、マクギリスは最終的に自分が勝利者になることだけが目的であり、自分のみを信じているからだ。ゆえにマクギリスは絶望しないし、自分のためだけに迷うことなくバエルに乗れるのである。

すなわち、シャアとマクギリスを分かつものは「ヒトの温かさ」である。シャアは少なからず人の可能性を信じようとしていたし(私怨が先か後かは誰にも分からないが)だからこそアクシズ落としという凶行に走った。対してマクギリスは他者に対して圧倒的に冷たい。他者の力に惚れることはあれ、そこに温かな感情は一切ない。

シャアは少女に何かを見出すという意味でロリコンなのであり、対してマクギリスは少女だろうと無差別という意味でロリコンなのである。シャアはララァを「お母さん」と呼んだ。それは少女のなかに母性を見出したからである。他方でマクギリスはアルミリアを「女」と呼んだ。それは老若男女は等しく他人であり、その意味で少女も「女」であるに過ぎないからだ。

 

シャアとイオク様をつなぐもの

イオク様はシャアとは別の意味で魅力的なキャラクターである。あそこまで視聴者のヘイトを集めつつ、それでも憎めない愛らしさがあるのは何故だろうか。

それはイオク様が熱をもった人間だからだ。イオク様は確かに愚かである。だが、悪いところといえば、それだけなのである。根は理想に燃える高貴な熱血漢であり、人の痛みが分かる人間なのだ。

反論を先回りで潰しておこう。人の痛みが分かる素地はあるのだが、愚か故に分からないだけなのだ。良いところが無いのではなくて、愚かさが全てを闇に閉ざしているにすぎない。だから、みんなイオク様のことを嫌いにならないでほしい。ギャラルホルンのことは嫌いになっても、イオク様のことだけは好きでいてほしい。

さて、十分にイオク様の魅力を紹介したところで本題に移ろう。

イオク様という存在は、シャアの良いところを全て殺し、残念なところを最大限に増幅したキャラなのである。

二人とも名家出身のエリートであり、戦闘と権謀術数の双方をこなす文武両道型であり、追い詰められるとイノベーティブな(トンデモ)回答をひらめく人間である。シャアの場合はそれがある程度は上手くいくのに対し、イオク様は全てが裏目にでる(鉄華団キラーという意味では有効だが)。

また戦闘においては、狙撃長筒が当たらない黄色系の機体に乗っており、ジャブロー”潜入”作戦で真っ赤なズゴックに乗ってきた人よろしく部下に迷惑をかけまくるという共通点もある。シャアは技量でカバーできるから良いが、イオク様はマジに弱いのだから笑えない。それだけの差なのだ。

繰り返すがイオク様は悪い人ではない。とてもシンプルに技量と器量と脳ミソが足りなさすぎるだけなのである。

 

マクギリス+イオク様=シャア・アズナブル

マクギリスの弱点は冷たすぎる心であり、イオク様の弱点は熱き心のほか大体全部である。したがって、彼ら二人が一つとなることで、初めて稀代のカリスマであるシャア・アズナブルと並び立つことができ、ガンダム作品のラスボスを務めるに足るキャラとなるのだ。

ゆえに最終回は「アインと同じく阿頼耶識システムそのものとなったマクギリス(阿頼耶識システム TYPE-M)を搭載したイオク様が地球にバスター火星落とし」、コレで間違いない。力のみを信望し、三日月に心酔するマクギリスが辿り着いた答えは、自身を阿頼耶識システムとすることだったのだ。そして、運良く阿頼耶識システム TYPE-Mを拾ったイオク様が、マクギリスの残留思念を通じて世界の悲しみを知り、お得意のナナメ45度っぷりを発揮し火星落としを決意、技量と器量と脳ミソを擬似阿頼耶識で補強したおかげで作戦は成功し本作はフィナーレを迎えるのである(マッキーの脳ミソはポンコツではない。ここ数話は全てが演技だったのだ)。

マクギリスを救うことができるのは、ガエリオではなくイオク様なのである。イオク様万歳。あの温かさをもったイオク様が地球さえ破壊するのだ。それは辛いことだが希望は残ったのだ。ガンダムとしては新しい終わりとして、イオク様が宇宙の新しい希望となられたのだ。

ジーク・イオク。来週も楽しみにしています。