宇宙逃避航海日誌

Space Run A-Weblog

目覚まし時計に宗旨変え

平成も終わらんとする時代に、スマホの数百倍は劣るレガシーデバイス「目覚まし時計」を手に入れた。特に深い理由はなく、懐かしさで何となく買ってみただけなのだが、これが驚くほどスッキリと目が覚めた。別に特別な機能があるわけでもない、2,000円程度の置き電波時計にも関わらず、である。スマホのアラームで十分だと思っていたが、釈迦も掌返しで宗旨変えするほどの衝撃を受けた。

僕は睡眠の専門家でもないし、あえて調べるほどでもないので、駄仮説だけ置いておくと「起きるときの動作か否か」が両者の決定的な差なのではないかと思った。言い換えると、目覚まし時計を止める動作は起床時のみのものだが、スマホのアラームを止める動作は就寝時と同じであり、それゆえ目覚まし力(めざまし-ちから)が違うということだ。もうお分かりかと思うが、①スマホを手にし、②画面をみて、③タップして、④投げ捨てる(⑤また手にしちゃう)というアラーム停止時の一連の動作は、寝るときとほぼ同じである。それは単に外形的な話だけではなくて、例えば小さな画面に焦点を集中させることなど、細胞などの動きも含む。

その意味でいえば、目覚まし時計らしき動作を継承しつつ、もっと起床に特化したデバイスだって作れるはずだ。それが目覚まし時計業界の活路ではないかと思う一方、ナチュラル・ボーン・スマホアラーム世代には一切響かないのかもしれなく、こと文化やビジネスというものは難しいと痛感する。うーん、やっぱちゃんと調べるかな…。雑な括りではUI/UX、もう少し細かく見ればアフォーダンス、換骨奪胎的な飛び道具としてはメタセマンティクス等の知見も活かせるのかも。バイタルデータ分析は隆盛だけど、こういう視点で睡眠or目覚ましサービスを設計してる企業いないですかね。

そんなことを考えつつ、今日も二度寝した。それじゃあ駄目じゃんSHUNPU-TEI-SHOTA-DEATH。

垂直統合の逆転裁判、水平分業のダンガンロンパ、ありがとう王泥喜くん/『逆転裁判6』の感想

今更ながら『逆転裁判6』をクリアした。いやはやシリーズの集大成として非常に素晴らしい出来だった。もし貴方が『逆転裁判4』や『逆転裁判5』で心が離れてしまったのなら、ぜひ本作までプレイしていただきたい。成歩堂くん真宵ちゃんコンビの復活を目玉としながらも、各章ごとに『逆転裁判4』以降のキャラクターに見せ場と成長があり、まさに「逆転裁判シリーズ」の集大成と呼ぶに相応しい作品であった。

とはいえ「逆転裁判シリーズの集大成といえば?」という問いがあれば、ほとんどの人は『逆転裁判3』と答えるだろう。過去と現在、絡み合う人々、それらが織りなす奇怪な事件の数々、それらが一つに収束するクライマックス。疑う余地のない名作である。

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そんなわけで「逆転裁判6こそ集大成」などと書けば『異議あり!』と叫ばれそうだが、少しだけ『待った!』をかけさせてほしい。

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ターンAガンダムの登場人物で歌う「ようこそジャパリパークへ」

けもフレ2期(というかたつき監督)方面が騒がしいようだ。色々なことを色々な角度から思わなくもないが、とりあえずガッツリ便乗することにした。その成果物が以下の動画(ターンAガンダムの登場人物で歌う「ようこそジャパリパークへ」)である。

幸か不幸か明らかに気流に乗り損ねた気もするが、自分なりに良くできたと思うので歌詞も掲載しておく。

和訳つき歌詞

ウィル・ゲイム/ヤコップ/アグリッパ
(Welcome to/ようこそ/ジャパリパーク!)

ロラン/マリガン/ギャバン/ポゥ・エイジ
(今日も/ドッタン/バッタン/大騒ぎ)

タルカ/ヤーニ/ラルファ・ゼノア/フラン・ドール
(高ら/かに/笑い笑えば/フレンズ)

キャンサー/シッキネン
(喧嘩/して)

スエッソン・ステロ/ジョン/ジョー
(すっちゃかめっちゃかしても/仲/良し)

キエル・ハイム嬢/ジョゼフ/ムロン/ハリー
(けものは居ても/のけ/もの/は居ない)

コンドラフト/アニス/クワウトル
(本当の/愛は/ここにある)

ドナ/ミドガルド/テテス・ハレ/ダイスケ
(ほら/きみも/ 手をつないで/大冒険)

グエン・サード・ラインフォード/ディラン・ハイム
(Welcome to ようこそ/ジャパリパーク!)

キース/アナン/ミラン/ホレス/アジ
(今日も/ドッタン/バッタン/大騒/ぎ)

セント/カキト/ジェシカ/トニーニョ
(姿/かたちも/十人/十色)

ディアナ/レア/ブルーノ
(だから/魅かれ/合うの)

ヨロル/レーチェ/セシリー
(夕/暮れ/空に)

リリ・ボルジャーノ/カシム/ローラ
(指をそっと/重ね/たら)

ハメット/ルル/メシェー
(はじ/め/まして)

ギンガナム/ソシエお嬢さん
(君をもっと/知りたいな)

『プラネテス』のオールナイト上映が最高だったという話

新宿ピカデリーで行われた『プラネテス』のオールナイト上映会に行ってきた。数年ぶりに見たのだが最高だった。特に「劇場」で「数年ぶり」に見たのが良かった。

まずは「劇場」という話。端的に言えば僕は宇宙にいた。上映ブザーが鳴ってから、スクリーンに映像が映し出されるまでの、数秒間の暗闇はまさしく宇宙だった。そしていざ本編がはじまると、巨大スクリーンと5.1chサラウンドに包まれ、それもまた宇宙だった。目の前に広がる星の大海と、音の伝わらない真空と、それでも背後から聞こえる呼吸音。 Phase7「地球外少女」では、どこまでも広がる月面の海が見えた。Phase16「イグニッション」では、空間喪失症を疑似体験するように汗をかいていた。Phase24「愛」では、徹夜による疲労と空腹も合わさって、終わりの見えない水平線に絶望した。これは絶対に家庭内では味わえない体験だった。やはり劇場はいいなぁ。

次に「数年ぶり」という話をする。僕が初めて本作を見たのは約三年前、確か大学三年生の夏だったと思う。それから現在まで、有り体に言えば、ほぼ人間として成長のない人生を歩んできた。先日はパンツの表裏を逆に履いて出社していたし、むしろ退化している気さえする。だけど、やはり三年という歲月は、良くも悪くも人を変えてしまうものらしい。

良い意味で思い知ったのは、Phase13「ロケットのある風景」での一幕。ユーリの質問「宇宙と地球の境目ってどの辺だと思う?」と、その答え「宇宙とか、地球とか、道しるべとか、あんまり関係無いみたいです」と、それに至るまでの「あなたは物事をなんでもはっきりさせようとしすぎる」の三つのセリフ。この三つのセリフの意味するところが、当時の僕にはよく分からなかった。まんま九太郎みたいなアホ面で、それでも理解できてないのは癪なので、ふーんと意味深に頷くだけだった。だけど今回は少しだけ「わかった」ような気がする。理解できたのではなく、分かったのでもない。はっきりと理を解すのではなく、はっきりと分かつのではなく、ただ「わかった」のだ。

悪い意味で思い知ったのは、Phase17「それゆえの彼」でのウェルナー・ロックスミス。相変わらず面白いキャラクターではあったが、原作漫画版は置いておくとして、前よりも魅力的に思えなくなっていた。それはきっと、アニメ版のキャラクターが「はっきり」しすぎているからで、そう思えてしまったことは、おそらくユーリの話がなんとなく「わかった」ことと表裏一体なのだと思う。

まとめると、数年ぶりに見たことで「はっきりさせない」が「わかった」のだ。文章にすると意味がわからないが、そもそもの文章力とオールナイトでピロピロな頭では、これが精一杯だ。が、もう少し「はっきりさせない」について頑張って書いてみる。

実のところ「はっきりさせない」が「わかった」のは、最後の最後、Phase26「そして巡りあう日々」のあるシーンを見てからだった。それはハチマキと田辺のシーンではない。ハキムとノノのシーンだ。大学三年のときには、何故、ハキムがノノを撃てなかったのか分からなかった。それが今回の上映会で「わかった」のだ。

撃てないですよハキムは。だってノノは、搾取する先進国の人間でも、搾取される途上国の人間でもないから。ハキムの世界観で「はっきり」わかれない人間なんです。しかも月が故郷のルナリアンなんですよ。先進国の豊かさの上には成り立っているんだけど、もう先進国の国民という切り方はできない。それでも、だからといって、ハキムは自分を撃つこともできない。そこで自殺するのは「はっきり」しすぎでしょ。だから撃てないですよ。国境に縛られている彼にノノは撃てない。だけど"改心"することもできない。

要するにそれが「つながっている」ということなのだと思う。愛してもいいし、愛さなくてもいいし、夢に身を捧げてもいいし、捧げなくてもいいし、孤独になってもいいし、孤独から逃げてもいいし、それが変わってもいい。だけど、なんにせよ、どう選ぶにせよ、自分が「つながっている」ことは変わらないのだ。そして、それは生きているとか死んでるとか、それすらも関係ないのだと思った。素晴らしい作品をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

おそらく僕は『マクロスΔ』のファンなのだという話

おそらく僕はTVアニメ『マクロスΔ』のファンなのだと思う。放映終了から一年も経つのに、未だに「ワルキューレ」の曲は頻繁に聴いているし、ぼんやり駅のホームで「一度だけの恋なら」が流れた日には、フレイアよろしく元気に飛び出して高速トレインにわがままなキスをしそうになる。また、昨日はマクロス音ゲー『歌マクロス スマホDeカルチャー』を徹夜でプレイしてしまったし、なんなら早く「いけないボーダーライン」の譜面を開放したくて、所得の限界点を塗り替えるほど課金してしまった。

では、何故こんなに歯切れが悪いのかと言えば、アニメ本編の出来がルンピカビームだったからだ。序盤、というか第一話は文句なく最高だった。だが、メッサーが微妙なタイミングで死んだくらいから、テンションは絶対零度θノヴァティックになった。あの盛り上がりは何だったのか。せつなさはこの胸のAXIA。

そんなダイスキでダイキライな『マクロスΔ』の劇場版の製作が決定した。めでたい。

さて不安である。なにが不安なのか。もちろんストーリーである。

僕は折に触れて「何故マクロスΔのストーリーはルンピカだったのか」を考えてきたのだが、現時点での答えは「歌を中心に据えすぎたから」と「五人組ユニットだったから」の二つだ。ただ、少しややこしいのだが、これら自体が絶対悪な要素なのではない。この二つの要素が「従来のマクロスの物語構造」と非常に相性が悪いというだけのことなのだ。

結論から書けば「ワルキューレの五人がバルキリーに乗って歌って戦う」というストーリーを僕は見たかった。以下、そんな妄想に至った理由を書き連ねてみる。

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アニメで学ぶクソ論文の見分け方/『クズの本懐』の感想

アニメで「本懐」といえば銀英伝ファーレンハイトという通説は、すっかり『クズの本懐』に覆されてしまった。なるほど「クズ」である門閥貴族からは逃れられないという皮肉か。無念である。

報われない恋 切ない恋 片想い それってそんなに美しい物ですか 高校二年生の安楽岡花火は、叶わぬ恋に身を焦がしていた。 大事な人を傷つけ、傷つきながらも求めてしまう人のぬくもり。 これは、あまりにも純粋で歪んだ恋愛ストーリー。
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本作は「誰に何を語るべきか」が非常に難しい作品だと思った。手垢まみれの言葉で表せば、人によって評価が異なる作品ということになるのだろう。だけど悩ましいことに、僕という単一な個人は、17点の作品としても、80点の作品としても、38点の作品としても、90点の作品としても、本作を観ることができるし語ることができる。ちなみに細かいニュアンスを無視して書けば、ストーリーの終着点である最終回は17点、設定と導入は80点、全12話の物語の平均点は38点、作品トータルでは90点である。

繰り返すが本作は「誰に何を語るべきか」が非常に難しい作品だ。だが不幸なことに、インターネットという場所は極めて不特定多数に開かれた空間である。そのくせ自分の考えを全てを書くには余白が小さすぎる。

そこで本エントリでは、クソ論文の見分け方を書くことにした。何故か。本作のストーリー構成がクソ論文の様式美を見事に踏襲しているからである。

最終回が終わった直後、僕は本作を以下のように総括した。

いきなり深海まで急速にダイブして、その驚きと暗闇の鮮烈さはあったのだけど、そこから先ずっと景色が変わらないから、あれこれどうしたオイと思ってたら、寝てる間にやんわり干潟になってたみたいな作品だった。

これを論文に読み替えると以下の様になる。

ものすごく深遠な問題を序文で掲げてあって、それ本当に明らかにできんの?どうやって明らかにするの?とワクワクして読み進めたら、本題とは無関係な周辺の研究領域の話が延々と続いて、気づいたら仮説検証をすっ飛ばして結論で「以上の点については次回以降の課題である」とか書いてあって、え?お前の研究内容は?何にも明らかにしてなくね?みたいな気分になる論文だった。

紛れもないクソ論文だ。ただし本作は90点のクソ論文である。

 

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声優「も」凄い傑作/『昭和元禄落語心中』『昭和元禄落語心中-助六再び篇-』の感想

これまでの人生で、たった一度だけ寄席に行ったことがある。まだ小学生だった頃、僕は父親に連れられて、三遊亭好楽三遊亭楽太郎の二人会を観に行った。

残念ながら良い思い出ではない。地元の寂れた文化会館は、小さなハコにも関わらず空席が目立ち、三遊亭好楽の「ピンクの小粒、コーラック」という口上がややウケだったこともあって、とにかく居心地が悪かった。いざ本編が始まっても、落語の知識も古典の教養もない当時の僕はとにかく退屈で、開始早々に爆睡した右隣の酒臭いオッサンの轟くようなイビキも不快で、早く帰りたいなとか、聞く気がないなら帰れよとか、自分のことを棚に上げたり下ろしたりしながら、そんなことばかり考えていた。

けれど、小さくとも人間一人には広すぎる舞台の上で、薄暗く冷え切った客席に向かって身一つで喋り続ける噺家の姿は、なぜか影絵のように強烈に脳裏に焼き付いている。

あたしの落語は誰のための落語でもねぇ。てめえのためにやってたんだ。
菊比古/『昭和元禄落語心中』6話

それっきり落語には縁もゆかりもなかったが、たまたま見始めた『昭和元禄落語心中』が非常に面白く、続く『昭和元禄落語心中助六再び篇-』まで一気に観てしまった。いやはや素晴らしい完成度であった。長く語り継がれる作品となるのは間違いない。

ただ、インターネットに溢れる感想をいくつか読んでみたのだが、本作を「声優が凄い」という評価で語るのには少し思うところがある。そんなわけで、感想と合わせて駄文を書き綴ることにした。なおネタバレ注意。

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