ゆるふわ髄想録

ゆるふわ嗜好×ゆるふわ思考×ゆるふわ試行

切り取ってよ、一瞬の光を/『メメント』の感想

メメント あらすじ
数分前の記憶を忘れてしまう前向性健忘の男が妻殺しの犯人を追う、クリストファー・ノーラン監督が贈る異色サスペンス。
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本作は紛れもない”復讐者”の物語である。決して”殺人者”の物語や”異常者”の物語ではない。主人公レナードは、誰よりも現在を全力で生きる、閃光のような復讐者なのだ。

過去や未来は抽象的な空間であり、誰もそこで生きることはできない。復讐に身を捧げることは、過去に基づく現在の生き様である。万物が流転する世界では、変化しないことも一つの変化である。復讐のために未来を閉ざすことや、新しいことを記憶できないことは、過去にとどまることを意味しない。

過去は現在から発した推測であり、現在がその全てを規定する。記憶は正しくない。事実も正しくない。主人公レナードが特殊なのは、記憶より事実に重きを置かざるをえないこと、それだけだ。

ぼくたちが脳内に記憶を刻むように、レナードは肉体に事実を刻んでいく。だけど、ぼくたちが無数の自己を記憶するのとは異なり、レナードは復讐者としての自己だけを選択して記していく。真実に至るための情報ではなく、復讐者としての自己で在り続けるための情報を。だから現実の肉体に”I'VE DONE IT”の文字はない。

主人公レナードは、誰よりも現在を全力で生きる、閃光のような復讐者だ。妻は何者かに殺され、記憶は10分と持たず、しかし思い出は消えることはない。コールガールとの茶番を通して、それを肉体の記憶にも刻み込んでいく。事実を掻き集めて彫り込んで、復讐者としての世界を構築していく。そうして世界を想う。自分の外に世界はあるはずだ。目を閉じても世界はそこにあるはずだ。

そして再び見つける。当然だ。過去は現在から発した推測であり、現在がその全てを規定する。現在を形づくるのは、紛れもなく存在していた過去である。しかし全ては世界のなかに埋め込まれ、ぼくたちは自分勝手にそれを解釈するしかない。

復讐しても忘れてしまうが、やることに意味がある。レナードの語る言葉に嘘はない。妻の"復讐のため"にこそ生きる。テレビCMのように刹那的なレナードにとって、復讐はもはや目的ではなく、人生を刻むために唯一残された手段なのだ。

ゆえにレナードは、その人生を犯した者を決して許さない。これぞ人生を奪われた者――”復讐者"の物語である。

セミの一生 #転詞

幼虫として数年を地中で過ごし、ようやく羽ばたけた地上では、一ヶ月足らずで命を散らす。そんなセミの一生をどう捉えるかというのは、簡単なようで悩ましい問いである。

生きた時間の長さで考えれば、セミの一生は、ほぼ幼虫である。それならと地中にマイホームを買い、地上に出ることなく一生を終えるのも、悪くない選択だろう。

だけど、その家には自分しかいなくて、系譜はそこで途絶えてしまう。だからこそと地中では糊口をしのぎ、地上に出てからパーリナイするのも、またセミの一生である。

あるいは、人間には認識できない第三形態があるとしたら、セミの一生について考えを改める必要がある。その第三形態の寿命が、何年なのか何日なのか何分なのかは知らないけれど、少なくとも生命の循環から離れていることは確かだ。

そして、もしセミに死後の世界があるのなら、一生という言葉の意味が崩壊する。セミの一生とは、地中での生活でもなく、地上での繁殖でもなく、別次元での何かですらない。それはただ単に、永久に続く世界での在り方を決める、神様のテストである。

セミの一生をどう捉えるかというのは、簡単なようで悩ましい問いであり、同時に詮ないことでもある。

ジョン・メイナード・ケインズの言うように、長期的にはわれわれはみな死んでいる。だけど短期的で瞬間的な現在を、死なないために生きている。それを一人の生命に帰することも、生物としての本能と言い捨てることも、修行のプロセスと位置づけることも、崇高な人間讃歌を謳うことも、セミの一生を考えることに似ている。

しかし、セミの一生をどう捉えるかという問いかけは、決して回答者の人生観を映し出す鏡にはなりえない。

なぜなら、人生という言葉は、他人のための言葉だからだ。

だからこそ、生きている人間は、人生を考えてはいけない。それでも考えてしまうのは、ままならぬ人体の不思議である。もしかしたらセミも、あんな風に鳴きたくなんて、ないのかもしれない。

「映像居酒屋ロボ基地」で散りゆく○○に未練を感じたという話

池袋駅近辺のビル街で、さも当然のように異彩を放つザンボット3。そこに書かれた「映像居酒屋ロボ基地」の文字。居酒屋なのか、基地なのか、静かに眠る海の底なのか。

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エクソダス、するかい?/『宇宙よりも遠い場所』の感想

淀んだ水が溜まっている。
それが一気に流れて行くのが好きだった。
決壊し、解放され、走り出す。
淀みの中で蓄えた力が爆発して、全てが動き出す。

そんなモノローグではじまり、毎週ぼくの淀んだ瞳と涙腺を決壊させてきたアニメ『宇宙よりも遠い場所』が最終回を迎えた。とても素晴らしい作品でした。ありがとうございました。

宇宙よりも遠い場所 あらすじ
そこは、宇宙よりも遠い場所──。何かを始めたいと思いながら、中々一歩を踏み出すことのできないまま高校2年生になってしまった少女・玉木マリ(たまき・まり)ことキマリは、とあることをきっかけに南極を目指す少女・小淵沢報瀬(こぶちざわ・しらせ)と出会う。高校生が南極になんて行けるわけがないと言われても、絶対にあきらめようとしない報瀬の姿に心を動かされたキマリは、報瀬と共に南極を目指すことを誓うのだが……。
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本作は、ものすごく雑に言えば、世間からズレている四人の女子高生の「じぶんさがし」の物語だ。だけど、ある日常から非日常に飛び込み、試練を乗り越えて成長し、また日常へと帰る、という普通の成長譚とは全く異なる。

本作は、すこし丁寧に言えば、淀んだ四人の女子高生が「みんなと一緒に、わたしを探す」という物語だ。それは"あなたが、わたしを見つける"という物語であり、そして"わたしが、あなたを見つける"という物語でもある。

本エントリでは、そんな『宇宙よりも遠い場所』について、同じく寒冷地を舞台にした名作アニメ『OVERMANキングゲイナー』を補助線にして語ることにする。突然すぎて意味不明かもしれないが、騙されたと思って読み進めていただきたい。

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ブログ再誕しました

気づけばブログを再開してから一年がすぎていました。まさに光陰矢の如しですね。

2017年の3月1日、就職活動への逃避から書きはじめた当ブログ「宇宙逃避航海日誌」と、さらに血迷って筆を走らせた小説「生殺し・オブ・ザ・デッド」の二つの試みは、幸か不幸か十二分にその役目を果たしてくれました。おかげさまで片手で数えるほどしかエントリーシートを書くことなく、見事にシューカツは全戦全敗。いやはや、世の中、甘くないですね。

ただ捨てる神あれば拾う神ありとでも言いますか、色々と巡り巡りて現在の会社に拾っていただき、現在は大変ながらも楽しく働けています。シューカツは散々な有様でしたが、ひとまず就活は良い結果でゴールイン。運よく新社会人スタートを切れました。本当に人生どうなるか分からないものです。

さて、そんな存在と心境の変化により、どうにも「生殺し・オブ・ザ・デッド」の方は続きを書くことができなくなり、数ヶ月前にバサッと店じまいしました。忙しくて十分な時間を割けなくなったことも一因ですが、ふと、他人の小説の続きを書いているような感覚を覚え、自己の断絶が認識されたことが決め手でした。途中で投げ出すことに迷いはありましたが、過去の自分を再インストールすることに意義を見い出せなかったため、全てを消し去ることにしました。

しかし、同じモチベーションで書いていた当ブログ「宇宙逃避航海日誌」は、頻度こそ減少したものの、更新は続いています。因果が逆な気もするんですが、アタマの中身を整理してアウトプットするという一連のプロセスが、現職と高い親和性をもつからでしょうか。まぁ理由は何にせよ、継続は力なりと云いますし、悪いことではないんでしょう。

ただ、滲みだす胃もたれネガティブを引きずる必要は一切ないので、数週間前にブログ名を英語版の「Space Run-A-Weblog」に変えてみました。が、そういう小手先の中途半端が一番どうしようもないと遅まきながら気づきまして、ガラッと刷新することにしました。

そんなわけで、当ブログは「ゆるふわ髄想録」として再誕しました。これまで以上のゆるふわ志向で、エンタメに揺さぶられる「ゆるふわ嗜好」と、ぼんやり考えたことの「ゆるふわ思考」と、突発的で無秩序な「ゆるふわ試行」の三つをテーマに、至高のゆるふわ目指して脳髄の赴くままを書き記していきます。今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

朝シャワー #転詞

朝シャワーは業が深い。洗礼はぼくたちの魂を原罪から救済してくれるけど、朝シャワーはむしろ自己の醜さを浮き彫りにする。ただ熱湯を浴びるだけで、こんなにもスッキリとするのに、どうしてぼくは二度寝なんてしてしまったのだろうか。早く起きて本の一冊でも読むつもりだったのに。しかも一度や二度ではない。何度も何度も体験しては、次こそ早く起きてシャワーを浴びようと思うのに、結果は毎度このざまだ。なんてダメな人間なんだろうか。

でも忘れがちなのは、二度寝してから浴びたシャワーは、たっぷり睡眠時間をとったあとのシャワーだってことだ。

ぼくたちは往々にして、自分が目覚ましく変化したときに、物事の因果を瞬間的に捉えがちになる。しかも世界には「平均への回帰」なんていう神様のサイコロまであって、とても良い結果がでた次の回には高確率でダメな結果がでるし、その逆もまたしかり。

そうした無数の因果と確率的な分布の交わるところが、ざっくり言うと「ビッグデータ」ということなのかな。

そんなことを考えました。ランチの時間に恐縮ですが、おはようございます。

人生は無理ゲーだ/読書猿『アイデア大全』『問題解決大全』の書評

どうにも仕事が行き詰まったので、以前オススメされた本を、藁にもすがる思いでポチってみた。

アイデア大全

アイデア大全

問題解決大全

問題解決大全

結論から言えば、起死回生のアイデアは浮かばないし、問題は何ひとつ解決しなかったけれど、それでも貴重な休日を費やすに余りある二冊だった。自分も同じタイプだから言えるのだが、本書はアイデアや問題解決のノウハウ本を苦手としてきた人にこそ読んでほしい。そんな思いから、再び仕事を放り投げて書評をしたためることにした。繰り返すが問題は一切解決していない。

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